●お話を伺った方●

大須賀 穣 さん(おおすが ゆたか)
東京大学大学院医学系研究科産婦人科学講座 教授、東京大学医学部付属病院 副院長。1985年東京大学医学部医学科卒業。 医学博士。産婦人科医としての長年の経験をもとに、女性のための健康支援の重要性を広く社会に訴え、研究活動、教育活動にも力を入れている。 日本産科婦人科学会にて女性の健康推進委員会委員長を務める他、多くの学会の役員、中央官庁委員としても女性の健康問題に取り組んでいる。2013年より現職。
経済産業省による女性特有の健康課題による経済損失は、社会全体では約3.4兆円の損失という試算結果が公表されています。そこで、女性の健康を守る産婦人科医として、幅広く活躍されている東京大学大学院医学系研究科の大須賀穣教授に、現在の日本の社会で働く女性が置かれている状況や健康に関する問題、企業への要望、健康経営に期待することなどを伺いました。
――まず、女性が仕事をしていくうえで直面している健康上の問題には、どんなものがありますか? (編集部・以下同)
大須賀:いちばん基本的なところをおさらいしますと、女性には毎月の月経に伴うホルモンの変動があります。月経から月経まで、周期が順調な人を例にとると、ちょうど真ん中あたりで排卵が起こります。周期が不順の人の場合はこの時期は当てはまりませんが、月経と月経の間に排卵があるという点では変わりはありません。
排卵の前、月経周期の前半は主にエストロゲン(卵胞ホルモン)が働いています。この期間、女性の体調はおおむねよいとされています。スポーツ選手を例にとれば、パフォーマンスがよい時期ということになります。しかし、排卵後である月経周期の後半は、エストロゲンも働きますが、プロゲステロン(黄体ホルモン)の働きが主体となります。
プロゲステロンは、元々は妊娠のために必要なホルモンですが、妊娠しない場合も排卵後1週間ごろ、別の言い方をすれば次の月経の1週間前ごろに最も値が高くなり、その後低くなります。
このプロゲステロンですが、体に水分を貯留させたり、消化管の運動を少し抑える作用があるので、おなかが張ったり、むくんだりします。さらに脳にも作用することがわかっています。
月経の1週間くらい前にイライラしやすいとか、落ち込みやすく、気分が不安定になるなど、身体的、精神的にあらわれるさまざまな症状を「月経前症候群(PMS)」と言いますが、それらはプロゲステロンの影響によるものと考えられます。
――月経周期の前半と後半で、女性の体調や精神的な状況が、ガラッと変化するということですね。
大須賀:はい。さらに月経のときには、経血を排出するために子宮が収縮します。この子宮の収縮が痛みにつながります。子宮を収縮させるときに、プロスタグランジンという物質が産生されますが、その分泌が過剰になると痛みが強まります。月経時に下腹部痛や腰痛、頭痛などが起こり、日常生活にも支障をきたす場合を「月経困難症」と呼びます。
このように、個人差はありますが、ホルモンの変動や月経痛が女性の体調を支配しているので、ぐるぐると波乗りをしているように、調子のよいときと悪いときが、毎月交互に訪れるということです。
――そうした体調の変化が、なぜ仕事に差しさわりがあることにつながるのでしょうか?
大須賀:第3次産業の従事者が大半の現代社会において、女性の体調の変化は、多くの場合欠勤しなくてはならない状況にまでは至りません。もちろん、寝込んでしまうほど月経痛がつらくて出社できないというケースはありますが。
ただし、不調であれば、確実に仕事のパフォーマンスは低下します。同じように出勤していても、パフォーマンスが100のときもあれば、30のときもある、という状況です。企業側から見れば、もちろん100の状態が望ましいわけですが、体調の変化を管理できていないと、常に100を維持することはむずかしくなってしまいます。
――昔と比べて、出産回数が減っていることで、月経に関わる疾患が増えていると聞きますが、本当でしょうか?
大須賀:たくさん子どもを産んで、授乳を繰り返していた時代と比べ、少子化の現代では女性の経験する月経の回数は、当然ながら圧倒的に多くなります。10倍も多い、という説もあるくらいです。
そして、例えば35歳で出産回数がゼロの方は、1回、2回出産経験のある方より、ふだんの月経痛は強いと言われています。また本来子宮の中にある子宮内膜が子宮以外の場所にできて、月経のたびに強い痛みを引き起こし、不妊の原因にもなる「子宮内膜症」や子宮内膜症に似た「子宮腺筋症」という病気も同様で、月経回数が多いほど、明らかに増加します」
――病気や、病気とまではいかなくても月経時の体調不良など健康上のトラブルを抱えている女性に対して、企業側ができることはどんなことでしょうか?
大須賀:私はいつも女性の健康増進はホップ、ステップ、ジャンプだと言っています。ホップはまず知識を得ること。ステップは自分の体調に気を配ること。ジャンプは具体的に行動を起こすことです。
そこで企業側が手助けできることはいろいろあります。健康診断の実施や費用の補助、女性に向けての社内勉強会を開催して、知識や気づきを得る機会を設けることや、体調の悪い人には婦人科への受診につなげていただくなどです
中には月経痛は痛いのが当たり前で、それを我慢できないのは自分が弱いからだと思っている女性もいます。しかし、鎮痛剤を飲んでも対処できないような痛みは病的な痛みです。そうした痛みには、子宮内膜症や子宮腺筋症、子宮筋腫などのさまざまな病気が隠れていることがあり、我慢しているうちに悪化してしまうこともままあります。そのことを知っているのと知らないのとでは、大違いです。
今は月経困難症であれば、低容量ピルによるコントロールが可能です。更年期に対しても、ホルモン補充療法は非常に有効なので、医療機関を受診して適切に体調管理をすることで、女性がパフォーマンスを保つことは間違いなくできるはずです。
――今、更年期という言葉が出ましたが、更年期を理由に昇進を辞退した経験のある女性が50%もいるという調査があるそうです。また更年期症状による経済損失は女性の健康課題の中で最も大きく、1.9兆円と推計されるとか。
大須賀:以前は更年期にあまりいいイメージがなく、精神的に不安定な女性に対して、まったく更年期は困るよね、というような言い方をしていた時代が確かにありました。
更年期は閉経をはさむ前後各5年ほど、合計すると10年間くらいの時期をさしますが、エストロゲンの分泌量が急激に減少するために、ほてりやのぼせ、動悸などの自律神経に関わるトラブルや、イライラや不安感、抑うつ的な気分がつづくなど、さまざまな症状が出ます。現在は、更年期はその人の性格などに問題があるわけではなく、やむをえない病気なのだという認識は深まってきました。
更年期症状に悩む人には、ホルモン補充療法が非常に有効です。20年ほど前に、ホルモン補充療法は体にマイナスになるという報道が出た時期がありました。しかし、その後研究が続けられて、その人の健康を害するより、むしろ効用のほうが大きいと考えられるようになっています。定期的な検診を受けつつ薬を正しく使えば、より長く意欲をもって健康的に働けるということです。
取材・文/山岡京子
東京大学大学院医学系研究科産婦人科学講座 教授、東京大学医学部付属病院 副院長。1985年東京大学医学部医学科卒業。 医学博士。産婦人科医としての長年の経験をもとに、女性のための健康支援の重要性を広く社会に訴え、研究活動、教育活動にも力を入れている。 日本産科婦人科学会にて女性の健康推進委員会委員長を務める他、多くの学会の役員、中央官庁委員としても女性の健康問題に取り組んでいる。2013年より現職。